福島県いわき市の旅 第4弾 その6 勿来関文学資料館(なこそせきぶんがくしりょうかん) [旅行]
ワンダーファームを出発し常磐道いわき四倉インターから南下し、いわき勿来インターで下車。
次に向かったのは「勿来関文学資料館」。「勿来」=「なこそ」と読みます。常磐道を走っていると「勿来の関」
の標識があり気になっていました。
そもそもこの「勿来の関」とはと言いますと
勿来関は、平安時代の武将源義家の「吹風をなこその関とおもへども・・・」の和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、おなじみの歌人も和歌に詠んだ有名な歌枕です。
江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道に沿っていくつかの宿場があり、勿来町にも関田宿という宿場町が形成されていました。
飛鳥井雅宣、西山宗因、徳川光圀、吉田松陰が、この勿来関への想いをそれぞれの胸に風光明媚な当地を訪れています。
近代には、源義家の歌碑や、芭蕉の句碑が建てられ、斎藤茂吉、山口茂吉、徳富蘆花、角川源義、中里介山などが当地を文学作品に残しています。
ちゃっかりコピペしちゃいました
こちらは「吹風殿(すいふうでん)」。
吹風殿とは平安時代の代表的建築様式である寝殿造(しんでんづくり)の建物で、陸奥守兼鎮守府将軍をつとめた
源義家がこんな歌を詠みました。
「吹風を なこその関と おもへども 道もせにちる 山桜かな」
この歌にちなみ、名付けられたのが「吹風殿(すいふうでん)」です。歌が詠まれた平安時代の邸宅を模した
体験学習施設となっています。
この施設の近くにあるトイレにこんな張り紙がありました。
正直許せません。出来ることならとっつかまえてやりたいです。
勿来の関のメインの施設はこちらです。
勿来関文学資料館。ここへ入る前にずっと向こうの方まで続く「詩歌の小径(しいかのこみち」を散策します。
詩歌の小径には紀貫之、小野小町、松尾芭蕉などの有名な方が勿来の関にちなんだ和歌の石碑があります。
来た道を振り返るとこんな感じ。
では戻ります。
戻って「勿来関文学資料館」に入ります。
このエレベーターで2Fへ。
順路2へ行くと貴重な資料がたくさん展示されています。
順路3の方は、
和歌の枕詞「勿来」に関する映像が流れているんですが
照明が明るくなったり暗くなったり、音がやかましいだけでさっぱりわからん
どうしていいのかわかりませんでした。諦めて進みます。
「不思議タウンなこそ」、意外とここは面白い
江戸時代の生活を再現しています。
⇩を覗くとモニターがありカエルが話しかけてきます。
上の写真はトイレ。当時は廁(かわや)と言いました。ここも⇩を覗くと当時のトイレ事情を説明してくれます。
改めて「勿来」という言葉は「来るなかれ」という意味で要するに「来るな」ということなんです。
元々は「菊多関」だったのが、ある地域の人たちには来てほしくなかったという説があるらしくそこから
「勿来」となったようです。
ですがいわき市の一部。どうか「来るなというなら行かねぇ」なんて言わず勿来文学資料館に足をお運びください。
これで旅行2日目が終了です。