福島県いわき市の旅 season2-9「浜風商店街」 [旅行]
道の駅 よつくら港の次に向かったのは「浜風商店街」。
ここは去年の7月にNHKの番組で吉川晃司さん、中村獅童さんが訪問しているのを見て行ってみる
ことにしました。写真はありませんがこの商店街は久之浜第一小学校の敷地にあります。
この商店街は元々個々に商売をされていましたが津波によって被災し全半壊した方たちが集まってできた商店街です。
賑わってはいませんでしたが数人の方がお買い物をされていました。
何かお買い物でもと思っていたのですがどうしようか迷ってしまい、まずはここへ入ってみることにしました。
ちなみに「久之浜」は「ひさのはま」と読みます。
やはり被災地なのでこのような写真がたくさんあり、すべてに目を通すことが出来ませんでした。
どうしても目を向けることが出来ません。
この後は南棟の一番奥にある「ブイチェーンはたや」さんに行きました。このお店はお惣菜やお弁当、食料品を扱っています。
かぼちゃコロッケ、はっさく、福島県産しいたけを買うことにしました。
3人の女性が働いていて2人がお料理担当、1人がレジ担当でレジ担当の方といわき市とこの商店街にきた
経緯などを話しました。お料理担当の方から「コーヒー飲む?」と聞かれ、なぜそんなこと聞かれたのか理解できずにいたら
その方に「この後ラーメン食べるならやめておいたほうがいいか」と言われその場は終わりお店を出ました。
この後向かった南棟の手前にある「からすや食堂」さんで「コーヒー飲む?」と聞かれた意味が分かりショックを受けました。
暖簾が風で捲れていますが「からすや食堂」さんです。このお店で長いことおばあちゃんを待たせていたので大将がイマイチ
いい顔していなかったのでやばいと思いながらタンメンを注文しました。
このタンメンがめちゃくちゃうまい!!!!!
とってもさっぱりしていて麺類でこんな表現おかしいですが塩分控えめっていう感じです。
何でこの店が近所にないんだと思ってしまいます。
近所には食堂がない為絶えずお客さんが入ってきます。ですが、この味ならほかのお店には行かないかも。
ここまでは良かったのですが、支払いの段階で予想もしなかったハプニングが起きてしまいました。
このお店は大将と女性店員さんがいらっしゃいます。食べながらこの方ともここへ来た経緯などを話しました。
しかし最後の最後に「この商店街はいかがでしたか?」と聞かれてしまいました。なんて答えていいか分かりません。
言葉が出ませんでした。違うことに話がそれたので何とかなったのですが、もう1度「この商店街はいかがでしたか?」
と気かれました。
なんとか「また来たいと思います。」と答えたもののきちんと伝わったか分かりません。もしかしたら2回とも無視するような
感じとなり悪い印象を与えてしまったかもしれません。
この商店街は本来あってはならないもの。商店街の皆さんは1日も早く元に戻る為に努力されているそうですが
思うようにいってないそうです。
テレビ番組の中ではたくさんの人で賑わっていましたが、自分が入った時は平日の昼間だったこともあり
さほど賑やかではありませんでした。
食べながらいろいろな苦労話をお聞きした後に「この商店街はいかがでしたか?」なんて聞かれるなんて思いませんでした。
そしてもうひとつ。レジ横に募金箱がありました。この募金箱が先ほどの「コーヒー飲む?」に繋がるのです。
お財布の中に小銭がたくさんあり重かったのでお構いなしに募金箱に入れました。この募金箱の中から来た方にコーヒーを
出していることを聞きました。
「ブイチェーンはたや」さんでお弁当を買った方がコーヒーを貰っているのも見かけました。商店街の奥にはトイレもあり
いつ誰が来ても困らないように苦労と努力をされていました。この商店街の方たちは笑顔でお仕事をされていましたが
心の中に決して癒えることがない傷を負っているのが伝わってきました。ものすごく無理をしているとしか思えません。
この商店街にはたくさんのスポーツ選手や芸能人、有名人が訪れていてサインがびっしりありました。
浜風商店街のホームページもあります。ぜひご覧ください。
http://hisanohama-shops.com/
商店街を出発し福島県で有名なお菓子「ままどおる」を売っているお店に立ち寄りお買い物をして、初日にフラワーセンターへ
一緒に行ったご夫婦のお宅にお邪魔しました。改めてここで。この日一緒に行動したおばあちゃんはあるご夫婦のそれぞれの
お母さんです。ご自宅でカフェを始めたということでご馳走になり写真を撮りました。いつまでもいると名残惜しくなって帰りにくく
なるので夕方4時に帰路に着きました。
今回の旅行は単なる1年ぶりの再会と観光ではない貴重な時間を過ごしました。
まずは1日目の夕食の時間。原発に程近いところで生活されていて遠くへ避難しなければならなくなってしまった方との出会い。
今この方はどうしているだろう?と考えるときもあります。考えたところで何も出来ません。
続いて2日目の夜。記事にはしていませんがニュースでいわき市内の会社が世界最大で日本にはその1台しかないクレーン車を
導入したと報道されていました。目的は「福島第一原発の廃炉」です。消防署にあるはしご車でも十分大きいのにその2倍くらい
の大きさでアームが140メートル伸びるそうです。そのクレーン車を浜風商店街を出発した後に偶然見かけてしまいました。
さすがに運転中だったので見えたのは一瞬で、戻るわけにも行きませんでしたがはっきりと隣に止まっていた普段見かける
クレーン車よりも遥かに大きかったです。着々と原発の廃炉が進んでいるのだと実感しました。
運転中に「双葉町役場」という道路標識も見かけました。簡易的なものではなく普段見かける青地に白い矢印の標識と
同じくらいの大きさのものです。
いわき市内にはたくさんの仮設住宅があり、いわき市内に違う街が存在しています。震災からもう3年以上も経過しているのに
「仮設住宅」
って何なんでしょうね。理解も納得も出来ません。
そして今回の「浜風商店街」。明らかに皆さんは我慢と無理をしていると思いました。国はいったい何をしているんだろう?抱えて
いる問題は山ほどあると思いますが全く進んでいないようにしか見えません。
たまに原子力の事でこの方にお話しが聞けたらと思う方がいます。それは、
漫画家の 手塚治虫先生 です。なぜなら「鉄腕アトム」は原子力で動いているからです。
原発が建設された昭和40年前半頃の原子力は「夢のエネルギー」で当時は、
・日本が変わる
・日本を豊かにしてくれる
そう思われていたのでしょう。多分そうだと思います。
アトムは最後の戦いで自らを犠牲にして敵に体当たりして破壊し地球を救います。この行為はドラマとしてはいいのですが
現実問題としては放射能が飛び散ってしまうことになると思います。アトムが持つ10万馬力の力を生み出すのにはどれだけの
原子力が必要かさっぱりわかりませんが、アトムが体当たりをすることでどんなことになるかは予測できていなかったので
しょう。結局「原子力」は「夢のエネルギー」であり「現実のエネルギー」ではなかったのでしょう。夢のままで終わったほうが
よかったと思います。
元々私kick_driveはアニメファンで4年半アニメーションの撮影の仕事をしていたのでこんな角度から原子力について
考えてみました。少々幼稚ではありますが、ひとつの考え方ということでご勘弁ください。
これで今回の「福島県いわき市の旅」は終了です。長々とお付き合いいただきましてありがとうございます。
最後に皆様にお願いがございます。NHK(Eテレ)で不定期ですが、「福島をずっと見ているTV」という番組があります。
メインMCは 箭内道彦(やないみちひこ)さんといい、バンド「猪苗代湖ズ」のメンバーの方です。夜中に放送しているので
録画して時間のある時に観ています。気が向いたらでかまいません。皆様にもぜひ見ていただけたらと思っています。
以前東京電力の若い社員の方と対談していました。生まれる前に建設された原発が原因で「自分たちは加害者」と考え業務を
行っているそうです。それはそれでどうかと思いました。人それぞれ立場があるんですね。
これからも被災地の復興について自分ひとりでも出来ることがあるのかを考えながら生活していこうと思いました。
http://www4.nhk.or.jp/fukushimazutto/
ここは去年の7月にNHKの番組で吉川晃司さん、中村獅童さんが訪問しているのを見て行ってみる
ことにしました。写真はありませんがこの商店街は久之浜第一小学校の敷地にあります。
この商店街は元々個々に商売をされていましたが津波によって被災し全半壊した方たちが集まってできた商店街です。
賑わってはいませんでしたが数人の方がお買い物をされていました。
何かお買い物でもと思っていたのですがどうしようか迷ってしまい、まずはここへ入ってみることにしました。
ちなみに「久之浜」は「ひさのはま」と読みます。
やはり被災地なのでこのような写真がたくさんあり、すべてに目を通すことが出来ませんでした。
どうしても目を向けることが出来ません。
この後は南棟の一番奥にある「ブイチェーンはたや」さんに行きました。このお店はお惣菜やお弁当、食料品を扱っています。
かぼちゃコロッケ、はっさく、福島県産しいたけを買うことにしました。
3人の女性が働いていて2人がお料理担当、1人がレジ担当でレジ担当の方といわき市とこの商店街にきた
経緯などを話しました。お料理担当の方から「コーヒー飲む?」と聞かれ、なぜそんなこと聞かれたのか理解できずにいたら
その方に「この後ラーメン食べるならやめておいたほうがいいか」と言われその場は終わりお店を出ました。
この後向かった南棟の手前にある「からすや食堂」さんで「コーヒー飲む?」と聞かれた意味が分かりショックを受けました。
暖簾が風で捲れていますが「からすや食堂」さんです。このお店で長いことおばあちゃんを待たせていたので大将がイマイチ
いい顔していなかったのでやばいと思いながらタンメンを注文しました。
このタンメンがめちゃくちゃうまい!!!!!
とってもさっぱりしていて麺類でこんな表現おかしいですが塩分控えめっていう感じです。
何でこの店が近所にないんだと思ってしまいます。
近所には食堂がない為絶えずお客さんが入ってきます。ですが、この味ならほかのお店には行かないかも。
ここまでは良かったのですが、支払いの段階で予想もしなかったハプニングが起きてしまいました。
このお店は大将と女性店員さんがいらっしゃいます。食べながらこの方ともここへ来た経緯などを話しました。
しかし最後の最後に「この商店街はいかがでしたか?」と聞かれてしまいました。なんて答えていいか分かりません。
言葉が出ませんでした。違うことに話がそれたので何とかなったのですが、もう1度「この商店街はいかがでしたか?」
と気かれました。
なんとか「また来たいと思います。」と答えたもののきちんと伝わったか分かりません。もしかしたら2回とも無視するような
感じとなり悪い印象を与えてしまったかもしれません。
この商店街は本来あってはならないもの。商店街の皆さんは1日も早く元に戻る為に努力されているそうですが
思うようにいってないそうです。
テレビ番組の中ではたくさんの人で賑わっていましたが、自分が入った時は平日の昼間だったこともあり
さほど賑やかではありませんでした。
食べながらいろいろな苦労話をお聞きした後に「この商店街はいかがでしたか?」なんて聞かれるなんて思いませんでした。
そしてもうひとつ。レジ横に募金箱がありました。この募金箱が先ほどの「コーヒー飲む?」に繋がるのです。
お財布の中に小銭がたくさんあり重かったのでお構いなしに募金箱に入れました。この募金箱の中から来た方にコーヒーを
出していることを聞きました。
「ブイチェーンはたや」さんでお弁当を買った方がコーヒーを貰っているのも見かけました。商店街の奥にはトイレもあり
いつ誰が来ても困らないように苦労と努力をされていました。この商店街の方たちは笑顔でお仕事をされていましたが
心の中に決して癒えることがない傷を負っているのが伝わってきました。ものすごく無理をしているとしか思えません。
この商店街にはたくさんのスポーツ選手や芸能人、有名人が訪れていてサインがびっしりありました。
浜風商店街のホームページもあります。ぜひご覧ください。
http://hisanohama-shops.com/
商店街を出発し福島県で有名なお菓子「ままどおる」を売っているお店に立ち寄りお買い物をして、初日にフラワーセンターへ
一緒に行ったご夫婦のお宅にお邪魔しました。改めてここで。この日一緒に行動したおばあちゃんはあるご夫婦のそれぞれの
お母さんです。ご自宅でカフェを始めたということでご馳走になり写真を撮りました。いつまでもいると名残惜しくなって帰りにくく
なるので夕方4時に帰路に着きました。
今回の旅行は単なる1年ぶりの再会と観光ではない貴重な時間を過ごしました。
まずは1日目の夕食の時間。原発に程近いところで生活されていて遠くへ避難しなければならなくなってしまった方との出会い。
今この方はどうしているだろう?と考えるときもあります。考えたところで何も出来ません。
続いて2日目の夜。記事にはしていませんがニュースでいわき市内の会社が世界最大で日本にはその1台しかないクレーン車を
導入したと報道されていました。目的は「福島第一原発の廃炉」です。消防署にあるはしご車でも十分大きいのにその2倍くらい
の大きさでアームが140メートル伸びるそうです。そのクレーン車を浜風商店街を出発した後に偶然見かけてしまいました。
さすがに運転中だったので見えたのは一瞬で、戻るわけにも行きませんでしたがはっきりと隣に止まっていた普段見かける
クレーン車よりも遥かに大きかったです。着々と原発の廃炉が進んでいるのだと実感しました。
運転中に「双葉町役場」という道路標識も見かけました。簡易的なものではなく普段見かける青地に白い矢印の標識と
同じくらいの大きさのものです。
いわき市内にはたくさんの仮設住宅があり、いわき市内に違う街が存在しています。震災からもう3年以上も経過しているのに
「仮設住宅」
って何なんでしょうね。理解も納得も出来ません。
そして今回の「浜風商店街」。明らかに皆さんは我慢と無理をしていると思いました。国はいったい何をしているんだろう?抱えて
いる問題は山ほどあると思いますが全く進んでいないようにしか見えません。
たまに原子力の事でこの方にお話しが聞けたらと思う方がいます。それは、
漫画家の 手塚治虫先生 です。なぜなら「鉄腕アトム」は原子力で動いているからです。
原発が建設された昭和40年前半頃の原子力は「夢のエネルギー」で当時は、
・日本が変わる
・日本を豊かにしてくれる
そう思われていたのでしょう。多分そうだと思います。
アトムは最後の戦いで自らを犠牲にして敵に体当たりして破壊し地球を救います。この行為はドラマとしてはいいのですが
現実問題としては放射能が飛び散ってしまうことになると思います。アトムが持つ10万馬力の力を生み出すのにはどれだけの
原子力が必要かさっぱりわかりませんが、アトムが体当たりをすることでどんなことになるかは予測できていなかったので
しょう。結局「原子力」は「夢のエネルギー」であり「現実のエネルギー」ではなかったのでしょう。夢のままで終わったほうが
よかったと思います。
元々私kick_driveはアニメファンで4年半アニメーションの撮影の仕事をしていたのでこんな角度から原子力について
考えてみました。少々幼稚ではありますが、ひとつの考え方ということでご勘弁ください。
これで今回の「福島県いわき市の旅」は終了です。長々とお付き合いいただきましてありがとうございます。
最後に皆様にお願いがございます。NHK(Eテレ)で不定期ですが、「福島をずっと見ているTV」という番組があります。
メインMCは 箭内道彦(やないみちひこ)さんといい、バンド「猪苗代湖ズ」のメンバーの方です。夜中に放送しているので
録画して時間のある時に観ています。気が向いたらでかまいません。皆様にもぜひ見ていただけたらと思っています。
以前東京電力の若い社員の方と対談していました。生まれる前に建設された原発が原因で「自分たちは加害者」と考え業務を
行っているそうです。それはそれでどうかと思いました。人それぞれ立場があるんですね。
これからも被災地の復興について自分ひとりでも出来ることがあるのかを考えながら生活していこうと思いました。
http://www4.nhk.or.jp/fukushimazutto/